2018年9月15日に女優・樹木希林さんが亡くなられました。
”大女優”と”破天荒なロックンローラーである夫・内田裕也さんの素敵な奥さん”という2足のわらじを履く樹木希林さんの死に日本中が悲しみに暮れましたが、一方であることが話題に。
それは「樹木希林さんの生き方が夫・内田裕也さんよりロッカーだ」ということです。
一体どんな名言や生き方を残されたのでしょうか?
今回はそんな樹木希林さんの生き方や、伝説の名言集をまとめてみたので御覧ください。
樹木希林が内田裕也よりロッカー?伝説の名言まとめ!
今回は樹木希林さんの数ある名言の中で、よりロックを感じられる名言を集めてみました!
- (夫・内田裕也との離婚についてきかれた際のコメント)今世は離れたまま、来世は絶対に会わないように…。籍を入れた責任上、今後はどうするかはそのつど考えながら引き受けていくしかないと思っています
- (夫・内田裕也が交際していた別の女性について)実際に会って『こちらから身を引きましょうか』と言ったことはある。そのときは女性に『結構です』と言われましたが
- 普通女優さんは実際の現状を世の中に知られるのを嫌がるんですけど、もう70歳を過ぎていますので、部分入れ歯を使ってるんです。せっかく歯医者で作ってもらったんだから、これは使わなきゃ損だと思って
- 主演をやりたいわけではなく助演でいいの。主演でも助演でも私の場合はギャラが一緒だし、セリフは少ない方がいいの(笑)。セリフが多いと割りゼリフにして監督に了解を取って皆にあげちゃう
- (網膜剥離で左目を失明した際、それまで治療をしなかった理由を聞かれた時の言葉)今まで色々な物が見え過ぎた
- (夫・内田裕也が交際していた別の女性について語った言葉)夫は男女ともに同じような情熱で人を好きになる。思い出の品も大切にする。それは寂しさの裏返しで、彼の孤独感がそうさせたのでは
- (夫である内田裕也が交際中だった女性に脅迫文を出し逮捕された時の言葉)面会を許されても私は行きません。だって歩いて帰ってこられるでしょう。どうやって謝るかは男の器量ですよ
- もし生まれ変わったら、内田とはもう逢いたくない。もし次逢ったら、また好きになってしまってまた大変な人生を送ってしまうから
- 生命は永遠のものだと思っています。現在、このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、生命というものはずっと続き、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない
- (自身の離婚について語った言葉)籍を入れた以上、引き受けていくしかない。夫の中には今も、純粋なもののひとかけらがみえるから
- (自身の全身ガンに関して告白したことについての言葉)ガンになって死ぬのが一番幸せだと思います。畳の上で死ねるし、用意ができます。片付けしてその準備ができるのは最高だと思っています。内田に言われました。『全身ガンで明日にでも死ぬのかと思っていたら、やたら元気でいろいろなところに顔を出すので、あれはガンガン詐欺(笑)だと思われているよ』って
- (離婚を拒否したのは、それを上回る大きな愛かという質問への答え)ー来世で出会わないために、今完璧に付き合っているのよ
- 私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか
- (舞台挨拶で「フラッシュ撮影禁止」「観客の撮影禁止」の注意事項が伝えられた時の言葉)あのね、フラッシュ全然構わないのよ。それになんで一般の人は写真撮っちゃいけないって言うの? 私、悪用されても全然構わないのよ
- 自分のことは棚に上げて、“演技がヘタクソだな”とか思って(大物俳優を)見てたりしていた
- 「どうして、この番組に来てくれたのか?」と問われた時の言葉)ー(映画の宣伝が目的だが)これに出たからって、お客が増えるとは思えない
- (手相を鑑定した。人生の中で困難を乗り越えてきた人にできる“障害線”が沢山あると言われて)それを障害と見るか、自分が乗り越えて人間として豊かになると見るか…ですよね
- 富も名誉もいらないんです
- (夫・内田裕也容疑者が強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕されたのを受けて)こういう事件が起きるのが遅かったなぁ。今回、さらして頂いて逆にありがたかった。私からは頭をさげません。本人に下げてもらいます
- 病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ
- がんはありがたい病気。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう? そういう意味で、がんは面白いのよ
- 靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標
- がんをやっつけようとすると、へばるとわたしは思ってるから、『薬出しますか?』って言われても、いらないって言う。薬飲んで寝ついてたら、もっともっと、がんが増えると思うのよね。闘うっていう感覚がないんだね。生活の質を下げないで、自然にいるような道を見つけようという生き方なの
- 「自由」っていうと格好が良すぎるけど、「責任がない、勝手」ていう感じかな。この作品の責任を取ろうと思うととても大変なんだけど、責任を取ろうと思わないから、すごく勝手なの。それが結果的に自由に見えるのかも。「予定調和にならない」というところは、私の生きてきた環境、出会いがそうしたのかな
- どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか
- お金ってもう使わないから。使う必要がなくなっちゃったから。自由になるくらいの生活できますけど、何にもしたいものないですね
- 人がうれしかったりした時に、泣くことが多いわね。悔しい、悲しい、で泣いたことはないわね。「なんてすてきなことを言うんだ」っていう時に泣けてくるね
- (美しさ、醜さについて)それはその人から見て、美しければ美しく、醜ければ醜いし。だってあんなに顔を引っ張ってしわを伸ばしたって、その人は「美しい」と思ってやっているけど、「変なの」って思う人もいるし。すべてそうじゃないですか
- やったことがほんのわずかだもの。やり残したことばっかりでしょう、きっと。一人の人間が生まれてから死ぬまでの間、本当にたわいもない人生だから、大仰には考えない
- あのね、年をとるっていうのは本当におもしろいもの。年をとるっていうのは絶対におもしろい現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、ひとつずつをおもしろがってほしいのよ
- 飽きたでしょ、おなかすいたでしょ、って思っちゃう。私がくたびれちゃうのね。だから一人でやろうと思うの。それで、一人でできなくなったら、「これにてご無礼いたします」。そうだね、最後のセリフは「はい、みなさん、今世はこれにてご無礼いたします」。いいセリフだよね
- みんなね離婚してね、次にいい人と出会ってるつもりでいるけど、似たようなもんなのね。ただ辛抱が効くようになっただけで
以上、「樹木希林のロッカーな名言」でした。
本当にロッカーのように”我が道を行く”といったような考え方ですよね!
ときには大勢の人が考えていることの真逆を言ってみたり、責任が持てないから「私は一人で生きている」といったような考え方はなかなかできないことです。
だからこそ多くの人に刺さるというか、「こんな考え方があるんだ」と人生や物事について今までにない考え方を教えてくださっています。
改めて、樹木希林さんは女優としても妻としても他にない唯一無二の存在だと感じましたね。
樹木希林が内田裕也よりロッカー?伝説の生き方をまとめ!
さて次
は樹木希林さんのロックな生き方についてご紹介していきます。
・大学受験直前にスキーで足を怪我したため、大学進学を断念。
元々、薬剤師を目指していた樹木希林さんですが、大学受験の直前にスキーで足を怪我したことで大学進学を諦めました。
そこで大学受験諦めるの?という感じですが、樹木希林さん的にも、「それもまた人生」という感じだったのではないでしょうか?
そして元々演劇部だったため、1年勤務だけでもしようという感じで女優になったのですが、そこから現在に至るまで大女優という地位を獲得しました。
・オークションで自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた
1977年に特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』の中のオークションコーナーで「売るものがない」という理由で、当時の芸名「悠木千帆」を競売にかけました。
そして「悠木千帆」という名前は2万200円で世田谷の飲食店店主に売却。
そこから「樹木希林」という名前に改名したという。笑
・大物プロデューサーと女優の不倫を暴露
1979年『ムー一族』の打ち上げパーティーが行われ、樹木は最後のスピーチを務めた際、番組プロデューサー久世光彦と「近松屋のともこ」役の女優のぐちともこの不倫関係、のぐちが妊娠8か月であった事を暴露。その後スキャンダルに発展したそうです。
暴露した理由は「ムー一族」の関係者も不倫のことを知っていたが暗黙の了解で黙っており、その事によって現場の雰囲気が悪くなったことにいても立ってもいられなかったそうです。
・内田裕也の離婚届提出に訴訟をおこす
内田裕也さんと結婚するも早々に別居状態になり、その間に内田裕也さんが離婚届を提出したことを許さず訴訟を起こしました。
普通ならそのまま離婚してもいいくらいだったのに、離婚の無効を訴え、さらには勝訴となりました。
別居状態でも、自由過ぎる内田裕也さんのことを愛していたからこその訴訟ですね。
・用意された衣装を拒否し、自分の衣装を持参
ある映画の打ち合わせ時に用意された衣装をみるなり「こういうことではないんですよね~」と言って、撮影当日自らの衣装を持参したそうです。
これは”わがまま”ではなく、樹木希林さんの作品に対する思い入れからだそうで、常に作品についてどうしたらいいかと人一倍考えていたそうです。
・仕事の管理はすべて自分で
樹木希林さんにはマネージャーがおらず、スケジュールの調整や出演オファーへの対応、ギャラ交渉などはすべて一人でこなしていたそうです。
なので出演のオファーなどはすべて樹木希林さんの自宅に直接電話、そしてFAXなどでも作品の説明をしなければならなかったそう。
・癌でも薬を飲まない
2012年に全身に癌があることを公表しましたが、その後も薬は一切飲まなかったそうです。
ただ、治療しなかったわけではなく、最先端のがん治療が受けられる鹿児島の病院に通っていました。
普通であれば癌になってしまったら薬を飲んで治ってくれと思うところですが、樹木希林さんの考え方はこうです。
がんをやっつけようとすると、へばるとわたしは思ってるから、『薬出しますか?』って言われても、いらないって言う。薬飲んで寝ついてたら、もっともっと、がんが増えると思うのよね。闘うっていう感覚がないんだね。生活の質を下げないで、自然にいるような道を見つけようという生き方なの
とにかく自然のままで癌と向き合ってきた結果、癌もなくなりました。
・別居状態で40年
ロックンローラー内田裕也さんと結婚して、すぐに別居状態になりましたがそれからというもの別居ではありながら夫婦として40年もの結婚生活を送ってこられました。
内田裕也さんは女性関係や警察沙汰などいろいろ破天荒な方でしたが、それでも樹木希林さんは「内田裕也の全てが、好きです。全てが」とおっしゃっていました。
樹木希林さんは人生をそのまま映画にできそうなくらい、ロックな生き方をされていたんですね。
希林さんのような生き方から学ぶことも多いですし、「こんな生き方がしたい」と望む声もたくさんありそうです。
最後に
いかがでしたか?
樹木希林さんは夫・内田裕也さんをも超えてしまうほどのロックな生き方をされてきたことがわかりましたよね!
破天荒な内田裕也さんを支える妻ですから、そりゃ自身もロックじゃなきゃやってられなかったかもしれません。笑
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